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横浜地方裁判所 昭和53年(行ウ)3号 判決

原告

有限会社光南興業

右代表者代表取締役

岡崎周

原告

岡崎周

右原告両名訴訟代理人弁護士

風間克貫

今井征夫

被告

藤沢税務署長

柴田勲

右訴訟代理人弁護士

北武雄

右指定代理人

大原豊実

篠田学

三橋正明

宮路正子

早川宮次郎

石黒邦夫

主文

原告有限会社光南興業の昭和四五年六月一日から昭和四六年五月三一日までの事業年度の法人税について、被告が昭和四八年四月二八日付けでした更正及び過少申告加算税賦課決定のうち、所得金額一八六九万五五二四円を超える部分を取り消す。被告が、原告有限会社光南興業に対して昭和四八年四月二八日付けでした昭和四五年一〇月分の源泉所得税の納税告知及び不納付加算税の賦課決定のうち、賞与認定額一二五五万三二八八円を超える部分を取り消す。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを一〇分し、その一を被告の、その余を原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告有限会社光南興業(以下「原告会社」という。)の昭和四四年六月一日から昭和四五年五月三一日までの事業年度の法人税について、被告が昭和四八年四月二八日付けでした更正及び過少申告加算税の賦課決定を取り消す。

2  原告会社の昭和四五年六月一日から昭和四六年五月三一日までの事業年度の法人税について、被告が昭和四八年四月二八日付けでした更正及び過少申告加算税の賦課決定(但し、いずれも審査裁決による減額後のものである。以下同じ。)を取り消す。

3  原告会社の昭和四六年六月一日から昭和四七年五月三一日までの事業年度の法人税について、被告が昭和四八年四月二八日付けでした更正及び過少申告加算税の賦課決定(但し、いずれも審査裁決による減額後のものである。以下同じ。)を取り消す。

4  被告が、原告会社に対して昭和四八年四月二八日付けでした昭和四五年一〇月分及び昭和四七年三月分の各源泉所得税の納税告知及び不納付加算税の賦課決定(但し、いずれも審査裁決による減額後のものである。以下同じ。)をいずれも取り消す。

5  原告岡崎周の昭和四七年分所得税について、被告が昭和四九年一二月二七日付けでした更正(但し、所得金額につき、審査裁決により減額後のものである。以下同じ。)及び過少申告加算税の賦課決定を取り消す。

6  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  原告会社が、昭和四四年六月一日から昭和四五年五月三一日までの事業年度分(以下「昭和四五年五月期分」という。)、昭和四五年六月一日から昭和四六年五月三一日までの事業年度分(以下「昭和四六年五月期分」という。)、昭和四六年六月一日から昭和四七年五月三一日までの事業年度分(以下「昭和四七年五月期分」という。)の各法人税についてした確定申告、及び被告が右各事業年度の法人税についてした更正、過少申告加算税賦課決定、昭和四五年一〇月分の源泉所得税の納税告知、不納付加算税賦課決定、昭和四七年三月分の納税告知、不納付加算税賦課決定並びに不服審査の経緯は、別表一の(一)ないし(五)記載のとおりである。

2  原告岡崎周(以下「原告周」という。)が、昭和四七年分所得税についてした確定申告及びこれに対する被告の更正、過少申告加算税賦課決定並びに不服審査の経緯は、別表一の(六)記載のとおりである。

3  しかし、原告会社に対する右各法人税の更正のうち、昭和四五年五月期分については九一四万七五三三円、昭和四六年五月期分については六二万二七五二円、昭和四七年五月期分については一七二万七七七三円の各所得金額をそれぞれ超える部分は、原告会社の所得金額を過大に認定したものであるから違法であり、右各更正に伴う各過少申告加算税賦課決定も所得を過大に認定した右各更正を前提とするものであるから違法である。

4  また、原告会社についての右各源泉所得税の納税告知は、賞与の認定を誤ったことに基づくものであるから違法であり、また、右各不納付加算税賦課決定も右各納税告知を前提とするものであるから違法である。

5  さらに、原告周に対する右所得税の更正のうち、総所得金額四二六万五三〇〇円を超える部分は、原告周の総所得金額を過大に認定したものであるから違法であり、右更正に伴う過少申告加算税賦課決定も、総所得金額を過大に認定した右更正を前提とするものであるから違法である。

よって、原告会社は、前記法人税の各更正、各過少申告加算税の賦課決定及び前記源泉所得税の各納税告知、各不納付加算税賦課決定の取消しを、原告周は、前記所得税の更正及び賦課決定の取消しをそれぞれ求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1及び2の各事実は認める。

2  同3ないし5は争う

三  被告の主張

1  昭和四五年五月期法人税についての更正の根拠

原告会社の昭和四五年五月期分法人税の課税標準となるべき所得金額は、以下のとおり一二七五万八八四二円であるから、その範囲内でなされた右法人税の更正は適法である。

(課税標準となるべき所得金額の内訳)

申告所得金額① 九一四万七五三三円

加算金額  ② 三六一万一三〇九円

(加算)

寄付金否認     一三〇万円

寄付金損金不算入額 二三一万一三〇九円

所得金額①+② 一二七五万八八四二円

(一) 寄付金否認(一三〇万円)

原告会社は法灯禅林寄付金として一三〇万円を寄付金勘定に計上し、これを昭和四五年五月期の損金に算入した。

しかしながら、寄付金の支出については、それが実際に支払われるまでは支出がないものとされ、損金に算入されないこととされている(法人税法施行令七八条)ところ、右寄付金は、右期においては、実際の支払いがなされていないから、これを当期の損金に算入することはできない。

(二) 寄付金損金不算入額(二三一万一三〇九円)

(1) 原告会社が支出したものとされる寄付金は、次のとおりである。

① 原告会社が寄付金として計上した金額(但し、前記(一)寄付金否認一三〇万円を控除した額)

一一万七〇〇〇円

② 無利息融資の利息相当額

二三六万八四七一円

合計 二四八万五四七一円

(2) 無利息融資の利息相当額

原告会社は、原告周が代表者となっている有限会社光南農場(以下「光南農場」という。)に対し多額の融資を行っているところ、右融資金については無利息となっていることから、通常の利率による利息相当額の経済的利益が原告会社から光南農場に対し、無償で供与されたことになるので、右利息相当額は光南農場に対する寄付金というべきである。なお、右利息相当額は、融資額の各月末残高に対し、通常の利率である年10パーセント(月利0.8333パーセント)の割合を乗じて算定した(月別の融資額及び利息相当額の明細は、別表二の(一)記載のとおりであり、光南農場が利息を支払っていたとする株式会社神奈川相互銀行及び株式会社東京相互銀行の貸付金は別表二の(一)の融資額から除かれている。)。

(3) 原告会社が支出した寄付金のうち、二三一万一三〇九円は、法人税法三七条二項により損金に算入されない金額である。

寄付金損金不算入額の計算は別表三の(一)欄記載のとおりである。

2  昭和四六年五月期法人税についての更正の根拠

原告会社の昭和四六年五月期分法人税の課税標準となるべき所得金額は、以下のとおり、二三三四万一七八八円であるから、右法人税の更正は適法である。

(課税標準となるべき所得金額の内訳)

申告所得金額① 六二万二七五二円

加算額  ② 二五〇八万六九〇一円

(加算額内訳)

借地権相当額の収益計上もれ

一七二五万八三六五円

寄付金損金不算入額

七七八万四四一七円

減価償却費の損金算入否認

四万四一一九円

減算額  ③ 二三六万七八六五円

(減算額内訳)

寄付金支出額   八〇万円

建物の帳簿価格の損金算入

七九万〇五九五円

土地の帳簿価額の損金算入

四四万五八三〇円

未納事業税  三三万一四四〇円

所得金額①+②−③ 二三三四万一七八八円

(一) 借地権相当額の収益計上もれ(一七二五万八三六五円)

(1) 原告会社は、岡崎俊郎(以下「俊郎」という。)及びその子である原告周、岡崎俊哉(以下「俊哉」という。)らが各別に土地、建物を所有していたことから、建物を貸家として有効かつ経済的に使用するため、会社組織にして貸家業務を営むことが効率的であると考え、昭和三三年五月二六日に設立された会社である。

原告周及び俊哉は、神奈川県茅ケ崎市幸町六〇四二番七の土地(以下「A土地」という。)及び同所六〇四二番八の土地(以下「B土地」という。)を含む俊郎所有の約一〇〇〇坪の土地上に建物を所有し、これを原告会社設立直後、同原告に土地使用権と共に譲渡した。原告会社は俊郎に対し、同人に代わってA、B両土地を含む俊郎所有土地の固定資産税等の費用を支払い、かつ、原告会社の経営に全く関与しない俊郎を設立当初の昭和三三年五月二六日から昭和三七年一一月まで代表取締役に就任させて役員報酬及び賞与を支払い、A、B両土地の利用関係と密接に関連した経済的利益を出損していたのであるから、右経済的利益の出損は、A及びB両土地の使用の対価であって、原告会社はA及びB両土地の賃借権を有していたというべきである。

仮に、原告会社がA、B両土地の使用借権しか有しなかったとしても、原告会社が俊郎一族の有する土地建物を効率的に運用するために不動産の賃貸を目的として設立・運営されている会社で、また、右両土地を所有している俊郎は、原告会社の代表者であって、しかも同原告から右両土地を含む所有土地の固定資産税等の費用の代払い、役員報酬、賞与等の経済的利益を受けてきたものであり、さらに、原告会社は、右両土地に建物を所有し、これをアパート等として賃貸し、収益を得るとともに事業の拡大を図ってきたもので、長期間にわたって使用することが予定されていたのであって、原告会社と俊郎との情宜のみによって生じた使用借権ではなく、かつ、俊郎が原告会社に右両土地の明け渡しを求めるということはほとんど考えられず、したがって、原告会社の有した使用借権は、借主の権利性の強いもので、賃借権に匹敵する経済的価値を有する権利である。

(2) 原告周に対するもの

七九五万七二八九円

原告会社は、昭和四五年一〇月末、A土地上に存在する原告会社所有の建物(以下「A建物」という。)を帳簿価格の三〇万七六二六円で原告会社代表取締役である原告周に売却したので、これに伴いA土地の使用権も同人に譲渡されたと認められるところ、原告会社は同人からA土地の使用権について対価を収受していないから、A土地の使用権については無償で譲渡されたものである。

一般に、法人がその役員に対し法人の所有する資産を無償で譲渡したときは、当該資産の価額に相当する金額の経済的利益をその役員に供与したことになるから、当該金額は法人の益金として生じたものを役員に対する賞与の支給にあてられたことになる(以下、同様な場合について同じである。)。

以上により、原告周に無償で譲渡した右使用権の価格相当額を益金に算入した。なお、右使用権の価格相当額は、A土地の鑑定評価額一平方メートル当たりの更地価格三万八二〇〇円に、A土地の地積297.58平方メートルを乗じて算出した更地価額一一三六万七五五六円に、さらに、使用権割合(賃借権又はこれと同価値の使用借権)七割を乗じて算出した額である。

(3) 俊哉に対するもの

九三〇万一〇七六円

原告会社は、昭和四五年一〇月末、同原告所有にかかるB土地上の各建物(いずれも家屋番号六〇四二番八、以下、床面積119.00平方メートルの建物を「B(1)建物」、床面積61.42平方メートルの建物を「B(2)建物」と各いい、B(1)建物とB(2)建物を併せて「B建物」という。なお、B(2)建物は、不動産登記簿上B土地及び神奈川県茅ケ崎市幸町六〇四三番二の土地上の建物として表示されている。)をB土地の使用権とともに原告会社の取締役である俊哉に無償譲渡したので、B(1)建物の価格相当額六三万五一〇五円、B(2)建物の価格相当額一五万五四九〇円及び右B土地の借地権価格相当額八五一万〇四八一円、合計九三〇万一〇七六円を原告会社の益金に算入した(前記(2)と同じ理由である。)。なお、B建物の価格相当額は原告会社の帳簿価格と同一であり、また、右使用権価格相当額は、B土地の鑑定評価額一平方メートル当たりの更地価格三万七〇〇〇円にB土地の地積328.59平方メートルを乗じて計算した更地価額一二一五万七八三〇円に、さらに、使用権割合(賃借権又はこれと同価値の使用借権)七割を乗じて算出した額である。

(二) 寄付金損金不算入額(七七八万四四一七円)

(1) 原告会社が支出したものとされる寄付金は、次のとおりである。

原告会社が寄付金として計上した金額

五万三五〇〇円

無利息融資の利息相当額

二六九万四〇八〇円

借地権相当額の贈与

四五四万四九六〇円

法灯禅林寄付金 八〇万円

計 八〇九万二五四〇円

(2) 無利息融資の利息相当額

これを寄付金と認定すべき理由は前記1(二)(3)と同じである。

月別の融資額及び利息相当額の明細は、別表二の(二)記載(なお、光南農場が利息を支払っていたとする株式会社東京相互銀行及び株式会社神奈川相互銀行の貸付金は別表二の(二)記載の融資額から除かれている。)のとおりである。

(3) 借地権相当額の贈与

原告会社は昭和四五年九月一〇日、同原告所有の神奈川県茅ケ崎市十間坂一丁目五一八五番一九の土地(以下「C土地」という。)上に存在する同原告所有の建物(以下「C建物」という。)を三四八万円で財団法人光之村(以下「光之村」という。)に売却した。ところで、建物所有を目的とする土地の使用権限は、通常建物所有権と一体となって財産的価値を形成するもので、しかも、当該建物の所有権の移転とともにその使用権限も同時に移転するものである。そうすると、C建物の譲渡に伴いC土地の借地権も光之村に譲渡されたと認められるところ、原告会社は、右借地権譲渡の対価を収受していない。したがって、原告会社は光之村に対し、右借地権を無償で譲渡したことになるから、右借地権価格相当額を寄付金と認定した。なお、右借地権価格相当額は、C土地の鑑定評価額一平方メートル当たりの更地価格三万二〇〇〇円に、C土地の地積202.90平方メートルを乗じて計算した更地価格六四九万二九〇〇円に、さらに、借地権割合七割を乗じて算出した額である。

(4) 法灯禅林寄付金

法灯禅林寄付金の支払いとして振り出された約束手形のうち、昭和四六年五月期において決済された金額(八〇万円)である。

(5) 寄付金損金不算入額の計算は別表三の(二)欄記載のとおりである。

(三) 減価償却費の損金算入否認(四万四一一九円)

原告会社は、B建物について昭和四五年六月から昭和四六年五月までの減価償却費を損金に算入しているところ、右各建物は、昭和四五年一〇月末、俊哉に対して売却したもので、同年一一月以降は減価償却の対象とならないから、原告会社が計上した右各建物の減価償却費のうち昭和四五年一一月以降分に相当する四万四一一九円(B(1)建物が三万五四四二円、B(2)建物が八六七七円である。)の減価償却費(別表四(一))の損金算入を否認した。

(四) 寄付金支出額(八〇万円)

法灯禅林寄付金である。

(五) 建物の帳簿価額の損金算入(七九万〇五九五円)

前述のとおりB建物は売却されたので、その帳簿価額の合計七九万〇五九五円(B(1)建物の帳簿価格六三万五一〇五円とB(2)建物の同価格一五万五四九〇円の合計である。)を損金に算入した。

(六) 土地の帳簿価額の損金算入(四四万五八三〇円)

前述のとおり、C土地の借地権は、光之村へ譲渡されたので、C土地の帳簿価額のうち、借地権に対応する部分の金額として、右土地の帳簿価格六三万六九〇〇円に借地権割合七割を乗じて算出した金額を損金に算入した。

(七) 未納事業税(三三万一四四〇円)

昭和四五年五月期(前事業年度)の更正に伴い納付することとなる事業税を損金に算入した。

3  昭和四七年五月期分法人税についての更正の根拠

原告会社の昭和四七年五月期分法人税の課税標準となるべき所得金額は、以下のとおり二六一五万一一〇七円であるから、その範囲内でなされた右法人税の更正は適法である。

(課税標準となるべき所得金額の内訳)

申告所得金額① 一七二万七七七三円

加算額合計② 三〇一四万九一八七円

(加算)

借地権相当額の収益計上もれ

一二二五万六〇五一円

寄付金損金不算入額

一七八二万四四六二円

減価償却費の損金算入否認

六万八六七四円

減算額合計③ 五七二万五八五三円

(減算)

寄付金支出額 五〇万円

土地の帳簿価額の損金算入

二五九万八二一三円

未納事業税 二六二万七六四〇円

所得金額①+②−③

二六一五万一一〇七円

(一) 借地権相当額の収益計上もれ(一二二五万六〇五一円)

原告会社は、昭和四七年三月二〇日、神奈川県茅ケ崎市幸町六〇四〇番の土地(以下「D土地」という。)に存在する同原告所有の建物(以下「D建物」という。)を七一〇万円で原告会社代表取締役である原告周に売却した。ところで、原告会社は、原告周から同原告所有のD土地を年額九万六〇〇〇円の地代で賃借して、昭和四〇年八月ころ同土地にD建物を建築して貸家として賃貸してきたのである。そうすると、原告会社はD建物の譲渡に伴いD土地の借地権も原告周に譲渡したと認められるところ、原告会社は、右借地権の対価を収受していない。したがって、原告会社は、右借地権を原告周に無償で譲渡したことになるから、右借地権相当額を原告会社の益金に算入した(前記2(一)(2)と同じ理由である。)。右借地権相当額は、D土地の鑑定評価額一平方メートル当たりの更地価格四万九五〇〇円に、D土地の地積353.71平方メートルを乗じて計算した更地価額一七五〇万八六四五円に、さらに、借地権割合七割を乗じて計算した額である。

(二) 寄付金損金不算入額(一七八二万四四六二円)

(1) 原告会社が支出したものとされる寄付金は、次のとおりである。

原告会社が寄付金として計上した金額

五万三〇〇〇円

無利息融資の利息相当額

八四万一七四七円

借地権等の低額譲渡

一七九万六九〇三円

借地権相当額の贈与

一四九七万六四九六円

法灯禅林寄付金 五〇万円

計 一八一六万八一四六円

(2) 無利息融資の利息相当額

これを寄付金と認定すべき理由は前記1(二)(3)と同じである。

月別の融資額及び利息相当額の明細は、別表二の(三)記載(なお、光南農場が利息を支払っていたとする株式会社東京相互銀行及び株式会社神奈川相互銀行の貸付金は別表二の(三)記載の融資額から除かれている。)のとおりである。

(3) 借地権等の低額譲渡

原告会社は、鈴木利一から神奈川県茅ケ崎市南湖三丁目四八二三番四の土地(以下「E土地」という。)を賃借し、同地上に建物(以下「E建物」という。)を所有していたところ、昭和四六年七月三一日、右建物及びE土地の借地権を光之村に四五万五〇〇〇円で売却した。

しかしながら、右各資産の価額は、E建物が一四万一七一八円、E土地の借地権が二一一万〇一八五円、合計二二五万一九〇三円と評価されるところ、右売買価額との差額一七九万六九〇三円は、原告会社から光之村に贈与されたものとして、当該金額を寄付金と認定した。右借地権の価額は、E土地の鑑定評価額一平方メートル当たり四万三五〇〇円に、E土地の地積69.30平方メートルを乗じて計算した更地価額三〇一万四五五〇円に、さらに、借地権割合七割を乗じて算出した額である。

(4) 借地権相当額の贈与

原告会社は、昭和四七年一月三一日、同原告所有の神奈川県茅ケ崎市十間坂一丁目五一八五番一の土地(以下「F土地」という。)上に存在する同原告所有の建物(以下「F建物」という。)を五八九万九二〇〇円で、また、昭和四六年七月三一日、同原告所有の同市若松町六四二六番九及び同所同番一〇の各土地(以下「G土地」という。)上に存在する同原告所有の建物(以下「G建物」という。)を一一八万三二〇〇円で、いずれも光之村に売却した。ところで、建物所有を目的とする土地使用権限、いわゆる借地権は、通常建物所有権と一体となって財産的価値を形成し、しかも、当該建物の所有権の移転とともに借地権も同時に移転するものである。そうすると、原告会社は、F及びGの各建物の譲渡に伴いそれぞれF土地及びG土地の各借地権も光之村に譲渡したと認められるところ、原告会社はいずれも右各借地権の対価を収受していない。したがって、原告会社は光之村に対し、右各借地権を無償で譲渡したことになるから、右借地権価格相当額を寄付金と認定した。F土地の借地権価格相当額は、同土地の鑑定評価額一平方メートル当たり四万二〇〇〇円に、地積314.41平方メートルを乗じて算出した更地価額一三二〇万五二二〇円に、さらに、借地権割合七割を乗じた九二四万三六五四円であり、G土地の借地権相当額は、同土地の鑑定評価額一平方メートル当たり四万九五〇〇円に、地積165.45平方メートルを乗じて算出した更地価額八一八万九七七五円に、さらに、借地権割合七割を乗じた五七三万二八四二円である。

(5) 法灯禅林寄付金

法灯禅林寄付金の支払いとして振り出された約束手形のうち、昭和四七年五月期において決済された金額(五〇万円)である。

(6) 寄付金の損金不算入額の計算は別表三の(三)欄記載のとおりである。

(三) 減価償却費の損金算入否認(六万八六七四円)

原告会社は、B建物について昭和四六年六月から昭和四七年五月までの期間の減価償却費合計六万八六七四円を損金に算入している(別表四(二))ところ、右各建物は昭和四五年一〇月末に俊哉に譲渡され、昭和四五年一一月以降は減価償却の対象とならないから、当期の減価償却の対象とすることはできない。

(四) 寄付金支出額(五〇万円)

法灯禅林寄付金である。

(五) 土地の帳簿価額の損金算入(二五九万八二一三円)

F土地及びG土地の各借地権は光之村へ譲渡されたから、右各土地の帳簿価額のうち、借地権価格に対応する部分の金額として、F土地についてはその帳簿価額九八万六七三三円に借地権割合七割を乗じて計算した六九万〇七一三円を、G土地についてはその帳簿価額二七二万五〇〇〇円に借地権割合七割を乗じて計算した一九〇万七五〇〇円を、それぞれ損金に算入した。

(六) 未納事業税(二六二万七六四〇円)

昭和四六年五月期(前事業年度)の更正に伴い納付することとなる事業税を損金に算入した。

4  過少申告加算税賦課決定の根拠

被告は、原告会社の前記各法人税の更正に伴い、国税通則法(昭和五九年法律第五号による改正前のもの)六五条一項に基づき、更正により納付すべき法人税額に一〇〇分の五の割合を乗じて算出した金額に相当する過少申告加算税をそれぞれ賦課決定した。

5  昭和四五年一〇月分源泉所得税納税告知及び不納付加算税賦課決定の根拠

(一) 納税告知

(1) 前記のとおり原告会社は、昭和四五年一〇月原告周に対しA土地の借地権を、俊哉に対しB建物及びB土地の借地権を、それぞれ無償で譲渡した。

一般に、法人がその役員に対し法人の所有する資産を無償で譲渡したときは、当該資産の価額に相当する金額の経済的利益をその役員に供与したことになるから、当該金額は役員に対する賞与とされる。

したがって、原告会社は、昭和四五年一〇月原告周に対しA土地の借地権価格相当額七九五万七二八九円を、俊哉に対しB建物の価格相当額及びB土地の借地権価格相当額合計九三〇万一〇七六円を、それぞれ役員賞与として支給したことになるから、右各金額と同額またはそれよりも低額の役員賞与額を認定してされた源泉所得税に係る納税告知処分は適法である。

(2) 被告は所得税法(昭和四九年法律第一五号改正前のもの)一八六条二項により右各役員賞与に対する源泉所得税を算出し、国税通則法(昭和四六年法律第八九号改正前のもの)三六条一項に基づき、原告会社に対し納税告知した。

(二) 不納付加算税賦課決定

被告は原告会社に対し、前期納税告知に伴い、国税通則法六七条一項に基づき、納税告知に係る源泉所得税額に一〇〇分の一〇の割合を乗じて計算した金額に相当する不納付加算税を賦課決定した。

6  昭和四七年三月分源泉所得税納税告知及び不納付加算税賦課決定の根拠

(一) 納税告知

(1) 前記のとおり、原告会社は原告周に対し、昭和四七年三月D土地の借地権を無償で譲渡した。

したがって、前記理由により、原告会社は原告周に対し、右同日、D土地の借地権相当額一二二五万六〇五一円を役員賞与として支給したものである。

(2) 前記5(一)(2)同旨

(二) 不納付加算税賦課決定

前記5(二)同旨

7  原告周の昭和四七年分所得税についての更正及び過少申告加算税賦課決定の根拠

(一) 所得税の更正

申告所得額に前記のD土地の借地権相当額の役員賞与一二二五万六〇五一円を加算したものである。

(二) 過少申告加算税賦課決定

昭和四七年分所得税の更正に伴い、国税通則法(昭和五九年法律第五号による改正前のもの)六五条一項に基づき、更正により納付すべき所得税額に一〇〇分の五の割合を乗じて計算した金額に相当する過少申告加算税を賦課決定した。

四  被告の主張に対する認否

1(一)  被告の主張1の冒頭事実中、原告会社の申告所得金額が九一四万七五三三円であること、寄付金否認一三〇万円が所得金額に加算されるべきものであることは認め、その余は争う。

(二)  同1(一)の事実は認める。

(三)  同1(二)(1)は争う。(2)の事実中、原告会社が寄付金として計上した金額(寄付金否認一三〇万円を控除した金額)が一一万七〇〇〇円であることは認め、その余は争う。(3)の事実中、原告会社の光南農場に対する月別融資額が別表二の(一)「合計残高」欄記載の金額である(但し、光南農場が利息を支払っていた株式会社東京相互銀行及び株式会社神奈川相互銀行の貸付金を除外したものである。)こと、右月別融資額に年一〇パーセントの割合を乗じて算出した利息相当額の明細が別表二の(一)「利息相当額」欄記載のとおりであることは認め、右利息相当額が光南農場に対する寄付金に当たることは争う。(4)の計算関係は認める。

2(一)  被告の主張2の冒頭事実中、原告会社の申告所得金額が六二万二七五二円であること、寄付金支出額八〇万円が所得金額から減算されるべきものであることは認め、その余は争う。

(二)  同2(一)(1)の事実中、原告会社が原告周、俊郎及び俊哉の所有する土地、建物を効率的に利用するために昭和三三年五月二六日に設立された会社であること、A及びB両土地が俊郎の所有であること、原告会社が俊郎に代わってA及びB両土地を含む俊郎所有土地の固定資産税を払っていたこと、俊郎が昭和三三年五月二六日から昭和三七年一一月まで原告会社の代表者に就任し、役員報酬及び賞与を受け取っていたことは認め、その余は否認する。(2)の事実中、原告周が昭和四五年一〇月末に原告会社からA建物の帳簿価格三〇万七六二六円を支払って返還を受けたことは認め、その余は否認する。(3)の事実中、原告会社が俊哉に対し、昭和四五年一〇月末にB建物を無償で返還したことは認め、その余は否認する。

(三)  同2(二)(1)の事実中、原告会社が寄付金として計上した金額が五万三五〇〇円であること、法灯禅林寄付金が八〇万円であることは認め、その余は争う。(2)の事実中、月別融資額が別表二の(二)「合計残高」欄記載の金額である(但し、光南農場が利息を支払っていた株式会社東京相互銀行及び株式会社神奈川相互銀行の貸付金を除外したものである。)こと、右月別融資額に年一〇パーセントの割合を乗じて算出した利息相当額の明細が別表二の(二)「利息相当額」欄記載のとおりであることは認め、右利息相当額が光南農場に対する寄付金に当たることは争う。(3)の事実中、原告会社がC土地を所有していたこと、同原告が昭和四五年九月一〇日C建物を三四八万円で光之村に売却したことは認め、その余の事実は否認する。(4)の事実は認め、(5)の計算関係は認める。

(四)  同2(三)の事実中、原告会社が昭和四六年五月期の納税申告において、B建物の減価償却費七万五六三三円(B(1)建物が六万〇七五八円、B(2)建物が一万四八七五円)を損金に計上していたことは認め、その余は争う。

(五)  同2(四)の事実は認める。

(六)  同2(五)の事実中、原告会社が帳簿価格をB(1)建物について六三万五一〇五円、B(2)建物を一五万五四九〇円として資産に計上していたことは認め、その余は争う。

(七)  同2(六)の事実中、原告会社が昭和四六年五月期の納税申告において、C土地の帳簿価格を六三万六九〇〇円としていたことは認め、その余は争う。

(八)  同2(七)のうち、昭和四五年五月期(前事業年度)の更正に伴い納付することとなる事業税が生ずることは争うが、計数は認める。

3(一)  被告の主張3冒頭のうち、原告会社の申告所得金額が一七二万七七七三円であること、寄付金支出額五〇万円が所得金額から減算されるべきものであることは認め、その余は争う。

(二)  同3(一)のうち、原告会社が昭和四七年三月二〇日D建物を七一〇万円で原告会社代表取締役である原告周に売却したこと、原告周がD土地をもと所有していたことは認め、その余の事実は否認する。

(三)  同3(二)(1)の事実中、原告会社が寄付金として計上した金額が五万三〇〇〇円であること、法灯禅林寄付金が五〇万円であることは認め、その余は争う。(2)の事実中、月別融資額が別表二の(三)「合計残高」欄記載の金額である(但し、光南農場が利息を支払っていた株式会社東京相互銀行及び株式会社神奈川相互銀行の貸付金を除外したものである。)こと、右月別融資額に年一〇パーセントの割合を乗じて算出した利息相当額の明細が別表二の(三)「利息相当額」欄記載のとおりであることは認め、右利息相当額が光南農場に対する寄付金にあたることは争う。(3)の事実中、原告会社が鈴木利一から同人所有のE土地を賃借し、同地上にE建物を所有していたこと、原告会社が光之村に対し、昭和四六年七月三一日E建物及びE土地の借地権を四五万五〇〇〇円で売却したことは認め、その余の事実は否認する。(4)の事実中、原告会社がF及びGの各土地及び各建物を所有していたこと、原告会社が昭和四七年一月三一日F建物を五八九万九二〇〇円で、また、昭和四六年七月三一日G建物を一一八万三二〇〇円でいずれも光之村に売却したことは認め、その余の事実は否認する。(5)の事実は認め、(6)の計算関係は認める。

(四)  同3(三)の事実中、原告会社が昭和四七年五月期の納税申告において、B建物の減価償却費として六万八六七四円(B(1)建物が五万五一六八円、B(2)建物が一万三五〇六円)損金に算入していたことは認め、その余は否認する。

(五)  同3(四)の事実は認める。

(六)  同3(五)の事実中、原告会社が昭和四七年五月期の納税申告において、F土地の帳簿価格を九八万六七三三円、G土地の帳簿価格を二七二万五〇〇〇円としていたことは認め、その余は否認する。

(七)  同3(六)のうち、昭和四六年五月期(前事業年度)の更正に伴い納付する事業税が生ずることは争うが、計数は認める。

4  被告の主張4は争う。

5(一)  同5(一)(1)の事実は否認し、(2)は争う。

(二)  同5(二)は争う。

6(一)  同6(一)(1)の事実は否認し、(2)は争う。

(二)  同6(二)は争う。

7  同7は争う。

五  被告の主張に対する原告らの反論

1  A及びBの各土地、建物について

(一) 俊郎及びその子である原告周、俊哉、岡崎道彦(以下「道彦」という。)ら(以下「岡崎家の者」という。)は、神奈川県茅ケ崎市内に土地、建物を各別に所有していたところ、貸家としてこれらの建物を利用するには、会社を設立し、会社として統一的に貸家業務を行う方が効率的に運用できると考え、また、将来はその会社を発展させ、会社で貸家を所有して賃貸業務を行うことを計画し、会社を設立して当該会社に各人所有の不動産の維持・管理の一切を委ねることにした。

(二) 右計画に従い、昭和三三年五月二六日に原告会社が設立され、原告周はその所有のA建物を、俊哉はその所有のB建物を、それぞれ原告会社に対し、その管理・維持の一切を委託した。

(三) 以上のとおり、A建物及びB建物は原告会社が所有していたものではなく、原告会社がこれらの建物を譲渡したものでもない。

2  C、F及びGの各土地、建物について

原告会社は昭和四四年九月光之村との間で、買受けの資金が調達できる都度光之村にC、F及びGの各土地、建物を順次売却することを合意し、まず被告主張の日時、金額をもって各建物を順次売却したうえ、昭和四八年四月二五日右各土地を売却したのであり、建物の譲渡が先行したからといって、譲渡と共に建物所有目的の賃借権が設定されたとはいえないのである。

3  D土地、建物について

原告周は、昭和三三年五月二六日、前記と同様の経緯により、原告会社に対し、D土地の維持、管理等の一切を委託した。

原告会社は、昭和四〇年八月ころ、右土地上に同原告の費用でD建物を建築し、貸家としてこれを運用していたが、右委託の終了に伴い、右建物を原告周に売却するとともに右土地を返還したものであって、借地権の譲渡を伴うものではない。

4  E土地、建物について

原告会社は、昭和三四年以降E土地を鈴木利一から賃借していたものであるが、同人は、原告会社の代表者である原告周の小学校時代の教師であるため、強く借地権を主張しうる状況ではないうえ、E建物も昭和二六年当時から存在する老朽化した建物であった。

借地権価格の評価に当たっては、新たな借地権の設定か、借地権の譲渡かの点、建物の老朽の程度及び借地権の残存期間等を考慮すべきであり、右事情を考慮すれば、E建物を帳簿価格の七割増である一七万一八〇〇円、E土地の借地権を二八万五〇〇〇円と評価したことは、それぞれの取得価格が合計二一万円であることに照らしても正当である。

5  無利息融資について

(一) 原告会社の光南農場に対する融資は、低利融資ではあるが無利息融資ではなく、かつ、原告会社には低利融資を行うにつき合理性があったから、寄付金認定をすべきではない。

(1) 光南農場は、もと原告会社の一部門であった農場経営を昭和三九年に分離、独立させたものであり、役員や従業員は両会社に属する者が多く、光南農場の帳簿類も原告会社に保管され、原告会社の所在地は光南農場の支店として登記されて機能しており、両社の経理担当者も同一人であった。

原告会社が各種支払いを行う際、光南農場の分についても支払うことが多く、その場合には、立替金的性格のものとして原告会社の右農場勘定に記帳された。他にも、原告会社において右農場で要する資金を支出した場合には、原告会社の元帳上、同農場勘定借方に記帳し、これらは、原告会社の決算期たる五月及び同農場の決算期たる八月には零となるよう清算されていた。

原告会社と光南農場とは、右の他にも、同農場の信用では融資が受けられないような場合、原告会社が金融機関から借り入れ、これを同農場に使用させたり、逆に、同農場が売却した土地代金を原告会社が預かるといったこともあった。

そして、原告会社及び光南農場はともに岡崎家の事業を行っているものと取引先等にも十分に知られていて、右密接な関係からして、光南農場が資金繰りの悪化、支払遅延その他不信用な事態を生ずると原告会社自体も信用失墜その他経済活動を営むうえで悪影響、損害を受けるのである。

したがって、原告会社は光南農場に対し、従前の経緯、密接な関係から、立替払いや援助をしなければならない立場にあり、低利融資を行うについて合理的理由があったのである。

(2) 原告会社は、昭和四四年六月一日現在株式会社東京相互銀行に対し一九九〇万円の借入金債務を負担しており、光南農場が右借入金債務の利息として、同年六月から昭和四五年五月まで合計二二九万五三〇六円、同年六月から昭和四六年五月までに合計五四万七二六六円、同年六月から昭和四七年五月までに四万〇九三七円をそれぞれ支払った。

また、原告会社は、昭和四六年九月末現在株式会社神奈川相互銀行に対し一八〇万円及び二二五〇万円の各借入金債務を負担しており、光南農場が右各借入金債務の利息として、同年六月一日から昭和四七年五月三一日まで合計一一五万四〇七七円を支払った。

被告は、光南農場が支払った右利息に相当する貸付金を別表二の(一)ないし(三)の融資額から控除しているが、これを融資額に加えて右支払利息金を利息支払いとすれば、全くの無利息融資ではなく低利融資となるのである。

(3) したがって、原告会社から光南農場に対する融資は、無利息融資ではなく低利融資であり、かつ、原告会社には低利融資する合理性があったから、寄付金の認定をすべきではない。

(二) 昭和四五年五月期以前においても、原告会社は、光南農場との間で、立替え、融資及び預り等を、同農場勘定その他の科目で係争年度と同様に、主として藤沢税務署員と相談し、その指導を受けて会計処理をしていた。

しかし、右以前は、一度も右農場との貸借取引に問題があり、寄付金認定があり得るといった指摘を受けたことはなかったにもかかわらず、被告が従前是認してきたことを突然変更し、課税することは信義則に反する。

(三) 寄付金として認定するとしても、前記のような事情のもとでは、無利息融資の利息相当額は、年五ないし六パーセントの割合によって計算すべきである。

六  被告の再反論

1  A及びBの各建物について

(一) 原告会社は、一〇年以上も確定した決算において、A及びBの各建物を資産として計上し、これらを他に賃貸するなどして使用収益してきたのみならず、右各建物の原価償却費及び固定資産税等の諸経費を損金として計上してきたのであって、これらの事実に照らし、右各建物は原告会社の所有に属するものである。

(二) 一般に、不動産の維持管理を委託する契約においては、委託者が受託者に対し、委託手数料及び維持管理費用を支払い、不動産から生ずる収益は委託者に帰属するのが通常である。

ところが、原告周及び俊哉がA及びBの各建物を委託したとする契約には、委託手数料の定めがなく、建物の収益費用の一切は受託者たる原告会社に帰属するとされており、一般の不動産の委託契約に比較して極めて不自然である。

2  C、F及びGの各土地、建物について

C、F及びGの各土地、建物の売買は、右売買に際して、原告会社と光之村との間において金員の授受をしたものではないから資金繰りを論ずる必要はない。

また、原告会社は、光之村から、C及びG建物の譲渡以前に預かり金勘定として六二一六万六〇八四円の資金を、F建物の譲渡以前に預り金勘定及び仮勘定として一億六七一五万八三八四円の資金をそれぞれ受け入れているから、右資金量からして、光之村が一体として譲り受けることは可能であったはずである。

3  E土地、建物について

鈴木利一と原告周が教師とその教え子の関係にあることは借地権の価格に影響を及ぼすものではない。

建物の所有を目的とするときは、原則として契約は更新されるものであるから、借地権の残存期間又は借地権の新たな設定である場合と借地権の譲渡である場合とによって、借地権の価格に差があるものではなく、さらに、建物が朽廃に近い場合も地主が借地権者の改築を容認し、借地契約が継続されるのが借地取引の実情であるから、建物の朽廃の程度も借地権の価格に影響を及ぼさない。

4  無利息融資について

(一) 原告会社の光南農場に対する融資は、低利融資ではなく無利息融資であり、また、仮に低利融資であっても、そのことに企業としての経済的合理性はないから、寄付金認定を否定する理由はない。

すなわち、光南農場が支払っていた利息は、原告会社が光南農場のために原告会社名義をもって、株式会社東京相互銀行及び株式会社神奈川相互銀行から借り入れた貸付金に対するものであり、また、右貸付金は原告会社の帳簿上も原告会社の負債に計上されず、光南農場の負債として計上されているのであり、実質的な債務者は光南農場であるから、右貸付金を原告会社の光南農場に対する融資額に加算して計算することはできない。

また、原告会社と光南農場とが密接な関係にあるとしても、法人は合理的経済人として、独立した第三者として特殊な関係を有しない取引先であったならば当然採ったであろう取引形態を前提としてその取引の実質的効果を認識すべきであり、法人税法の運用に当たっては経済的合理性を欠く取引は、その効果を右のとおり評価されるのであって、原告らの主張は失当である。

(二) 被告が、原告会社の光南農場に対する無利息融資にかかる利息相当額を寄付金認定したことが信義に反するとの点は争う。

(三) 原告会社が光南農場のため、株式会社東京相互銀行から借り入れた借入金の利率は年10.25パーセントであり、同じく松本祐商事株式会社からの借入金の利率は年36.5パーセント及び年54.75パーセントであって、原告会社の光南農場に対する融資については、利息相当額を年一〇パーセントと認定したことは相当である。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1、2の各事実は当事者間に争いがない。

二不動産及び借地権の譲渡

被告は、原告会社が原告周に対しA、D各土地の借地権を、俊哉に対しB建物の所有権及びB土地の借地権をそれぞれ無償譲渡し、また、光之村に対しC、F及びG各土地の借地権を無償譲渡したほか、E建物の所有権及びE土地の借地権を低額譲渡した旨主張するのに対し、原告らはこれを争い、特にA、B各建物、A、B及びD各土地については、岡崎家の者が原告会社に管理を委託していたに過ぎないもので、原告会社の所有物件として譲渡したものではない旨主張するので、この点について判断する。

1  当事者間に争いのない事実

(一)  原告会社が、原告周、俊郎及び俊哉の所有する土地、建物を効率的に利用する目的で昭和三三年五月二六日に設立された会社であり、俊郎が右設立時から昭和三七年一一月まで代表取締役に就任し、原告会社からA、B両土地を含む俊郎所有土地の固定資産税の支払いを受けるほか、役員報酬及び賞与を得ていたこと(被告の主張2(一)(1))。

(二)  俊郎がA、B両土地を、原告会社がC土地及び同地上のC建物、D土地上のD建物、E土地上のE建物、F土地及び同土地上のF建物、G土地及び同土地上のG建物を、原告周がD土地を、鈴木利一がE土地をそれぞれもと所有していたこと(同2(一)(1)、(2)、(3)、2(二)(3)、3(一)、3(二)(3)、3(二)(4))。

(三)  原告会社が、昭和四六年五月期の納税申告において、B建物の減価償却費七万五六三三円(B(1)建物が六万〇七五八円、B(2)建物が一万四八七五円)を損金に計上し、また、B建物の帳簿価格七九万〇五九五円(B(1)建物が六三万五一〇五円、B(2)建物が一五万五四九〇円)を資産に計上し、さらに、C土地の帳簿価格六三万六九〇〇円を資産に計上していたこと(同2(三)、(五)、(六))。

(四)  原告会社が昭和四五年一〇月末に、原告周に対しA建物を同建物の帳簿価格三〇万七六二六円で、俊哉に対しB建物を無償でそれぞれ所有権を移転したこと(同2(一)(2)及び(3)但し、原告は所有権の返還と主張し、被告は所有権の譲渡と主張している。)。

(五)  原告会社が光之村に対し、昭和四五年九月一〇日同原告所有のC建物を三四八万円で売却したこと(同2(二)(3))

(六)  原告会社が原告会社代表者である原告周に対し、昭和四七年三月二〇日D建物を七一〇万円で売却したこと(同3(一))。

(七)  原告会社が、鈴木利一からE土地を賃借して同地上にE建物を所有していたが、昭和四六年七月三一日、光之村に対し、E建物及びE土地の借地権を四五万五〇〇〇円で、G建物を一一八万三二〇〇円で、昭和四七年一月三一日F建物を五八九万九二〇〇円でそれぞれ売却したこと(同3(二)(3)、(4))。

(八)  原告会社が昭和四七年五月期の納税申告において、B建物の減価償却費六万八六七四円(B(1)建物が五万五一六八円、B(2)建物が一万三五〇六円)を損金に計上し、また、F土地の帳簿価格を九八万六七三三円、G土地の帳簿価格を二七二万五〇〇〇円としていたこと(同3(三)、3(五))。

2  以上の争いがない各事実に加え、〈証拠〉を総合すると以下の事実が認められる。

(一)  俊郎は昭和三三年ころ、神奈川県茅ケ崎市内にA、B両土地を含む合計約一〇〇〇坪の土地を所有していたところ、同土地上には、俊郎が昭和七年ころ子供のために建て、長男俊哉の所有となっていた建物四棟(B(1)建物〔甲第三九号証〕及びB(2)建物〔甲第四二号証〕を含む。)、次男道彦の所有となっていた建物一棟及び三男原告周の所有となっていたA建物が存在した。

俊郎は、右土地の他にも静岡県伊東市内に建物を所有し、また、同人が代表取締役に就任していた大日本機械工業株式会社名義で不動産を所有していたが、昭和四七年に死亡した。

(二)  原告周は俊郎所有のA土地上にA建物を、俊哉は俊郎所有のB土地上にB建物を、道彦は俊郎所有地に建物一棟(貸家三戸)をそれぞれ所有し、これらの建物を賃貸家屋として利用していたが、岡崎家の者は、各個人が所有していた貸家を積極的かつ効率的に活用すると共に税金対策を考慮して、昭和三三年五月二六日右岡崎家の者及び池田芳久、池田恵美子、佐伯ハナコらが出資して資本金一〇〇〇万円の原告会社を設立し、俊郎が代表取締役に、原告周及び俊哉が取締役に、道彦が監査役にそれぞれ就任したが、実質的な運営は原告周が行っていた。

岡崎家の者は、昭和三三年五月ころ、原告会社との間において、右各人が原告会社に対し、各所有の不動産の管理維持一切を一〇年間委託し、原告会社が当該不動産の賃貸料のすべてを取得し、その代わりに右不動産の改造、増築、修理を行うとともに公租公課、火災保険料、組合費等の一切の費用を負担する旨の合意をし、その旨の同月二六日付け「契約書」と題する書面(甲第四号証の一ないし五、但し、五は大日本機械工業株式会社名義で作成)を作成した。

なお、右書面には岡崎家の者から提供された不動産の表示が記載されていなかったため、原告周は、原告会社の代表取締役として、昭和四〇年四月二六日以降において、岡崎家の者から提供された不動産の明細を記載した「不動産明細書」と題する書面(甲第四号証の六)を作成した。同書面にはA、B及びDの各土地、A及びB(1)の両建物の記載はされているが、B(2)建物の記載はなく、また、いずれも昭和四一年七月一日以前の所在地の表示となっている。

原告会社は、その設立と同時に、俊哉から提供された建物四棟(B建物を含む。)について固定資産税評価額の四九万六一〇〇円(B(1)建物が一五万九五〇〇円、B(2)建物が一四万四一〇〇円、甲第五号証の二)を、道彦から提供された建物について同評価額の二四万七二〇〇円(甲第五号証の一)を、原告周から提供されたA建物について同評価額の四一万六六〇〇円(右同)を、俊郎から提供された静岡県伊東市内の建物について同評価額の九八万二四〇〇円(右同)を、それぞれ右各人に対する預り金債務とし、右各建物を原告会社の負債に計上する会計処理をすることになっていたが、俊郎が社会事業家で収入が乏しく生活費を必要としたため、原告周、俊哉及び道彦の了解のもとに、右代金の合計二一四万二三〇〇円のうち一六五万五八七〇円を一括して俊郎に対する預り金として負債に計上し(乙第一号証)、その後の一〇年間に俊郎の必要に応じてこれに相応する金員を逐次同人に交付した。

また、原告会社は、岡崎家の者から提供された右各建物について、原告会社を権利者とする所有権移転登記手続を行わなかったものの、決算報告書(乙第一、第二号証及び第五号証)において、原告会社所有の固定資産として計上したうえ、減価償却費を損金として処理し(乙第三、第四号証)、また、右各建物について賃借人から賃貸料を徴収して原告会社の収入とし、さらに、原告会社の負担において固定資産税の支払い、修理及び増改築を行うなどしていた。

さらに、原告会社は、俊郎から提供されていた土地(A及びB土地を含む。)及び原告周から提供されていたD土地についても、固定資産税を支払い、これを自由に使用していた。

(三)  原告会社は、岡崎家の者から提供された前記各建物を原告会社の資産として維持・管理していたが、その一部を原告会社の事務所や原告周の住居としてそれぞれ使用していた。

原告会社は、①昭和四三年一一月にA建物に一四万六七四〇円の費用をかけて水洗工事を行い、②B(1)建物につき、昭和四〇年六月中に二六万四二七五円の、昭和四二年三月に五万〇五九二円の費用をそれぞれかけて増築し、③昭和三五年九月八日にC土地を買い受け、昭和三八年六月に同土地上に四八六万四九六六円の費用をかけて木造瓦葺二階建共同住宅(C建物、甲第三五号証)を建築し、④昭和四〇年八月二〇日に原告周所有のD土地上に木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建宿舎(D建物、甲第二二号証)を建築し、⑤昭和三四年二月三日にE建物及びその敷地のE土地(甲第一九、第二〇号証。鈴木利一所有である。)の借地権を道間八栄から二三万五〇〇〇円で買い受け(甲第三二号証)、⑥昭和三七年二月に原告会社所有のF土地(甲第三四号証)上に鉄筋コンクリート造陸屋根二階建共同住宅(F建物。甲第三六号証)を一一二三万四八〇七円の費用で建築し、⑦昭和四二年三月一〇日、木造スレート葺二階建共同住宅(G建物。甲第三七号証)及びその敷地のG土地を二二九万五二六〇円で買い受け、昭和四四年二月、二七万六六五八円の費用をかけて増築し、右各建物をそれぞれ賃貸していた。

原告会社は、岡崎家の者から提供された建物に増築をし、あるいは土地上に建物(店舗)を建築し、これらをそれぞれ賃貸していた。

(四)  原告周は、昭和三七年一一月俊郎に代わって原告会社の代表取締役に就任し、昭和四四年七月ころから岡崎家の者から提供されていた不動産を返還するようになった。

すなわち、原告会社は原告周に対し、昭和四五年一〇月末にA建物をその減価償却後の帳簿価額相当の三〇万七六二六円で返還し、右金員については、同月末に原告会社の原告周に対する債務と相殺処理をして決済した。

また、原告会社は俊郎に対し、昭和四五年一〇月末ころ、B建物(減価償却後の昭和四六年五月期の帳簿価格は、B(1)建物が六三万五一〇五円、B(2)建物が一五万五四九〇円であった。)を無償で返還したが、B建物の減価償却費を昭和四六年五月期の決算において七万五六三三円、昭和四七年五月期の決算において六万八六七四円であるとして損金処理し、また、昭和四六年五月期においてB建物を七九万〇五九五円と評価して、資産に計上していた。

原告周はB建物の一部に居住していたので、昭和四五年九月三〇日俊郎との間において、原告周所有のA建物と俊郎所有のB土地を交換し、その評価差額を八〇万円として、これを原告周が俊郎に支払う旨の交換契約(甲第九号証)を締結してB土地を取得し(登記簿上は、昭和四六年四月一二日売買とされている。甲第四一号証。)、また、昭和四六年七月一日、俊哉からB建物を一〇〇万円で買い受けた(甲第八号証、登記簿上は、昭和四六年四月一二日売買とされている。甲第三九、第四二号証。)。

原告周は、原告会社が昭和四〇年八月二〇日原告周所有のD土地にD建物を建てたので、その頃原告会社との間において、D土地の賃貸借契約を締結し、同月ころから月額八〇〇〇円の地代を受け取るようになったが、昭和四七年三月二〇日原告会社からD建物を七一〇万円(建物の時価評価額であり、敷地の使用権の評価額は含まれていない。)で買い受けた(登記簿上は昭和四七年六月一五日売買となっている。甲第二二号証。)。

(五)  光之村は農業青年の育成等を目的として昭和九年ころ設立許可を受けた財団法人であり、静岡県伊東市周辺に存する約三〇〇ヘクタールの農地及び額面二五万円の株式を基本財産とし、戦前は右株式の配当金を事業資金として活動していたが、戦後は農地の大部分をいわゆる農地改革等により失って約五〇ヘクタールを残すに過ぎなくなったうえ、右株式の価値も下落したことなどから、活動できなくなった。

俊郎ら岡崎家の者は、光之村の理事に就任して、事業活動の中心として働いていた(昭和三〇年代において、俊郎が理事長に、俊哉及び原告周が理事に就任していた。)が、昭和三〇年代に入ってから光之村の再建計画を立て、農業の近代化をめざしたモデル農場(蜜柑園及び養鶏)を作り、昭和三五年ころから活動を開始したが、財団である光之村が農地を所有することは、農地法上問題があると指摘されたため、昭和三九年に「農業生産法人有限会社光南農場」(光南農場)を設立して光之村の農業部門を引き継ぎ、蜜柑園等を経営する主体となった。

(六)  光之村は、右のとおり戦後においてその資産を失い、それに伴って経常収入もなくなったため、昭和三〇年代になって財源確保の目的及び低廉な賃料で住宅を提供する目的で貸家業を始め、昭和四〇年一〇月に原告会社から貸家一棟(原告会社が俊哉から提供されていた四棟の建物のうちの一棟)を買い受け、その後も原告会社所有の建物の譲渡を求めてきた。

原告会社は、昭和四四年九月ころ、光之村との間において、①C建物を三四八万円(帳簿価格及び立合費用の97パーセントを1.7倍した金額に相当する。)で、②E建物を一七万円(帳簿価額及び立合費用の九七パーセントに相当する価格)で、③F建物を五八九万九〇〇〇円(帳簿価額及び立合費用の九七パーセントに相当する価額で、敷地の使用権の評価額は含まれていない。)で、④G建物を一一八万三二〇〇円(帳簿価格及び立合費用の九七パーセントから改造費四四万円を控除した金額に相当する。)で、⑤C、F両土地(一八四坪)を一一四二万二〇〇〇円で、⑥E土地の借地権(二一坪)を二八万五〇〇〇円で、⑦G土地(五〇坪)を五八二万円で売却するほか、他に土地合計一七〇坪と各土地上の建物を右同様の基準により合計四一六九万三八〇〇円でそれぞれ売却する旨の合意をし、その旨の「(有)光南興業より(財)光之村へ譲渡不動産明細」と題する書面(甲第一三号証)を作成した。

そして、原告会社は光之村に対し、右合意に基づき、昭和四五年九月一〇日C建物を三四八万円で(甲第一四号証)、昭和四六年七月三一日E建物及びE土地の借地権を合計四五万五〇〇〇円(なお、E建物の昭和四六年五月期の帳簿価格は一四万一七一八円である。乙第三号証)で、G建物を一一八万三二〇〇円で(甲第一五号証)、昭和四七年一月三一日F建物を五八九万九二〇〇円で(甲第一六号証)、それぞれ売却したが、右各建物の敷地については、原告会社が光之村の再建に協力する趣旨から、光之村の資金繰りに応じて売却することにした。

なお、C及びF両土地は、昭和六二年五月一四日当時において、原告会社から光之村に対し、所有権移転登記手続がなされていない。

(七)  A、B及びDの各土地は、茅ケ崎駅南東約三〇〇メートル(直線距離)に位置し、A土地は幅員約三メートルの道路に囲まれた土地で、画地の一部が道路として使用されているものの、主にアパートの敷地となっており、また、B土地は幅員約三メートルの未舗装の専用道路に等高南面している整形地で、画地の一部が通路として使用され、木造二階建の事務所兼居宅の敷地になっており、さらに、D土地はA土地のやや南寄りにあり、幅員約三メートルの未舗装私道に東面する平行四辺形の画地で、会社の寮の敷地となっている。A土地の更地価格は、昭和四五年一〇月三一日当時において、一一三六万七五五六円(一平方メートル当たり三万八二〇〇円で297.58平方メートル〔昭和五六年一〇月二一日の分筆前の登記簿上の地積〕)、B土地の更地価格は、右当時において、一二一五万七八三〇円(一平方メートル当たり三万七〇〇〇円で328.59平方メートル〔昭和五六年一〇月二一日の分筆前の登記簿上の地積〕)、D土地の更地価格は、昭和四七年三月二〇日当時において、一七五〇万八六四五円(一平方メートル当たり四万九五〇〇円で353.71平方メートル〔登記簿の地積〕)である。

C及びFの各土地は、茅ケ崎駅西方約六〇〇メートル(直線距離)に位置し、C土地は幅員約四メートルの未舗装道路に東面し、F土地はC土地の北側隣接地で準角地であり、両土地ともに鉄筋コンクリート造二階建の共同住宅の敷地になっている。C土地の更地価格は、昭和四五年一〇月三一日当時において、六四九万二八〇〇円(一平方メートル当たり三万二〇〇〇円で202.90平方メートル〔前同〕)であり、F土地の更地価格は、昭和四七年一月三一日当時において、一三二〇万五二二〇円(一平方メートル当たり四万二〇〇〇円で314.41平方メートル〔前同〕)である。

E土地は、茅ケ崎駅南西方約一一〇〇メートル(直線距離)に位置し、幅員約五メートルの舗装公道に間口約5.5メートルをもって東面する土地で店舗の敷地となっていて、その借地部分の更地価格は、昭和四六年七月三一日当時において、三〇一万四五五〇円(一平方メートル当たり四万三五〇〇円で実測面積69.30平方メートル)である。

G土地は、茅ケ崎駅東方約一〇〇〇メートル(直線距離)に位置し、幅員約一〇メートルの舗装公道に等高南面する平坦地で、店舗及び住宅の敷地になっており、その更地価格は、昭和四六年七月三一日当時において、八一八万九七七五円(一平方メートル当たり四万九五〇〇円で165.45平方メートル〔登記簿上の地積〕)である。

(八)  神奈川県茅ケ崎市内では、遅くとも昭和三二年ころから建物所有目的の賃借権又は地上権の対価として権利金の授受の慣行があり、昭和四五、六年ころ以降には建物所有目的の賃借権又は地上権について、これを概ね借地権価格を更地価格の七割と評価して取引がされていた(なお、原告会社は、本件各処分に対する審査請求においても、借地権価格を更地価格の七割とすることは肯認している。)。

以上のとおり認められ、これに反する証拠は次に説示するとおり信用できない。

すなわち、原告会社代表者尋問の結果中には、昭和四〇年一〇月にされた前記建物の所有権移転は売却したのではなく、移管したのである旨の供述があり、甲第二三号証の記載中にも、同旨の記載がある。

しかし、原告代表者の右供述は、右建物を移管した趣旨について明確でなく、また、同尋問の結果によれば、原告会社と光之村との間の契約によって、右建物の管理・収益権を光之村に移転したというのであるところ、右建物を移管した趣旨が、俊哉の所有であることを前提として管理委託契約の受託者を光之村に変更したというのであるならば、右契約の当事者に俊哉が加わっていないことは不合理であって、原告代表者の右供述及び甲第二三号証の右記載部分は信用することができない。

3  そこで、右認定事実を前提にして、原告会社がA及びBの各土地の借地権を無償譲渡したか否か、また、それを原告周及び俊哉に対する賞与と評価しうるか否かについて判断する。

(一)  原告周及び俊哉が原告会社に対し、AB各建物を提供した趣旨について考察する。

原告会社は、岡崎家の者の所有不動産を効率的に活用し、かつ、税務処理の便宜を図る目的をもって、岡崎家の者らが出資して設立された会社であり、原告周及び俊哉も原告会社の設立に関与し、設立後は取締役に就任していたものであって、いわゆる同族会社である。

そして、原告会社は、岡崎家の者から提供された建物(A、B両建物を含む。)の対価として、右建物の固定資産税評価額相当の金額を俊郎からの預り金名目で負債に計上し、俊郎の必要に応じてこれを同人に交付し、他方、原告会社の決算書には、右各建物を固定資産として計上し、かつ、その減価償却費を損金に入れて納税申告していたというのである。

そうすると、原告会社は、原告周からA建物を、俊哉からB建物をそれぞれ固定資産税評価額に相当する金額を代金として買い受け、その代金を俊郎からの預り金として負債に計上し、原告周及び俊哉に代わって、同人らの父である俊郎に代金相当額を支払っていたと解されるのである。

もっとも、原告周及び俊哉は、不動産を原告会社に提供する際、原告会社との間において、不動産の維持管理を委託する旨の合意をし、その旨を記載した「契約書」と題する書面(原告周について甲第四号証の四、俊哉について甲第四号証の二)を作成しており、また、原告代表者尋問の結果中には、岡崎家の者は原告会社に対し、不動産の維持管理を委託しただけで、その所有権まで移転したものではない旨の供述がある。

なるほど、右契約書に用いられている文言は「不動産の維持管理の委託」というのであるが、その実体は既に認定したように、使用収益権能の一切を原告会社に移転しているばかりでなく、会計処理上も原告会社の資産として処理し、使用収益によって得られる利得と維持管理によって支出される経費、報酬との間の均衡を考慮された形跡もないうえ、建物所有権の代価とみられる金員の交付がされているのであり、さらに、原告会社は光之村に対し、昭和四〇年九月に俊哉から提供されていた建物一棟(貸家三戸)を売却し、当該不動産の処分権能まで行使しているのであって、これらの事実によると、建物の売買による所有権の譲渡と評価すべきものであり、右契約書に用いられている文言はその実体と著しくかけ離れており、右記載をもって、原告会社がA及びB両建物を取得した事実を否定することはできず、原告会社代表者の右供述は、前記認定の事実に照らして信用することができない。

したがって、原告会社は、原告周からA建物を、俊哉からB建物を買い受けていたというべきである。

(二)  A、B各土地の利用権の帰属について考察する。

(1) 原告周は、俊郎所有のA土地上にA建物を所有していたのであり、また、俊哉は、俊郎所有のB土地上にB建物を所有していたのであるが、俊郎と原告周及び俊哉とは父子関係にあり、かつ、使用権設定の際に支払われる一時金を含めてその使用の対価を支払っていたと認める証拠がなく、しかも、B建物は、俊郎が俊哉のために建てた建物であるから、A及びB両土地の利用権は使用貸借契約上の使用借権であると推認される。

そして、原告周及び俊哉が原告会社に対し、A、B両建物を貸家建物として売却した際、その敷地使用権の譲渡について明示の合意がなされたことを認めるに足りる証拠はないが、建物はその敷地使用権を伴ってはじめてその経済的効用を全うしうるものであり、その意味において敷地使用権は建物所有権と一体となって一つの財産的価値を形成しているものであるから、建物が当該建物の敷地所有者又は敷地の使用権を有する者によって任意譲渡された場合には当該建物の敷地に対する使用権につき明示の契約が存しないときでも、取りこわしを予定して譲渡するなど特段の事情のない限り、これに付随して右敷地使用権の設定又は譲渡についても合意があったものと推認される。

そうすると、原告会社は、原告周及び俊哉から、A、B両建物の所有権と共に右各建物の敷地使用権である使用借権の譲渡を受けたというべきである。

なお、被告は、原告会社が俊郎に対し、同人に代わってA、B両土地の固定資産税等の一切の費用を支払い、かつ、昭和三三年五月二六日から昭和三七年一一月まで俊郎を原告会社の代表取締役に就任させ、経営に全く関与しない同人に役員報酬及び賞与を支払い、A、B両土地の利用と密接に関連した経済的利益を与えてきたから、右経済的利益はA、B両土地の使用の対価であって、原告会社はA、B両土地の賃借権を有していた旨主張する。

しかし、固定資産税等の公租公課の金額が、通常の地代に比較して著しく低額であり、土地の維持管理について不可避的な費用にあたることを考慮すると、右固定資産税等の支払いは右土地使用の対価ではなく、右土地の所有権維持に伴って発生する通常の費用の負担とみるべきであり、その支払いをもって、賃料の支払いと見做すことはできず、原告会社と俊郎との間に賃貸借契約があったとは認められない。

さらに、俊郎に対する役員報酬及び賞与の支払いについても俊郎は岡崎家の当主であり、原告会社が岡崎家の者の同族会社であることに照らすなら、俊郎が原告会社の代表取締役に就任し、役員報酬及び賞与を得るのはしばしば行われるところで不自然なことではなく、これを直ちに土地使用権の設定の対価と結びつけて考えるのは相当でない。また、原告会社代表者尋問の結果によれば、俊郎は、原告会社に毎日出社して仕事をしていたわけではないが、重要な事項について原告周の相談に応じていたことが認められるのであって、俊郎が原告会社の経営に全く関与していなかったとはいえず、さらに、原告会社は、岡崎家の者から提供された不動産以外にも新たに不動産を取得して収益を上げていたのであるから、これらの事情を総合すると俊郎に支払われた役員報酬や賞与がA、B両土地を含む土地の対価であるとみるのは相当でなく、右役員報酬及び賞与の支払いをもって、俊郎と原告会社との間に賃貸借契約が締結されていたとすることはできない。

以上説示したとおり、原告会社は、原告周及び俊哉からA及びB両建物を取得すると共にA及びB両土地の使用権を取得したというべきである。

(2) 原告会社は昭和四五年一〇月末ころ、原告周に対しA建物を帳簿価額の三〇万七六二六円で、俊哉に対しB建物を無償でそれぞれ返還している点については既に判示したとおり、原告会社は右両建物の所有権を取得していたと認定すべきものである以上、原告周はA建物を帳簿価額で買い戻し、俊哉は原告会社からB建物を贈与されたものと、それぞれ判断される。

また、前記判示のとおり、建物が任意譲渡された場合には当該建物の敷地に対する利用権につき明示の契約が存しないときでも、特段の事情のない限り、これに付随して右敷地使用権を譲渡する旨の合意があったと推認されるところ、本件においてA、B両建物の譲渡の際、原告会社と原告周及び俊哉との間にその敷地使用権の譲渡について明示の合意がなされたとする証拠はないが、右推認を覆すに足りる証拠もないから、原告会社は原告周及び俊哉に対し、A、B両建物の譲渡と共にA、B各土地の使用借権を譲渡したものと解すべきである。

(三)  A、B各土地の使用借権の経済的価値について考察する。

ところで、土地の使用借権は借地法の適用がなく(借地法一条参照)、建物所有目的の賃借権又は地上権に比較して、その存続期間、解約の制限等の点において脆弱であって、その経済的評価は低いものと認められるが、その財産的評価については、当該権利の設定された事情、返還時期、使用及び収益の目的、その他の契約内容、使用及び収益状況等を考慮して決定されるものと解される(土地収用法七一条、公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱〔昭和三七年六月二九日閣議決定〕参照)。

前記のとおり、A、B両土地は、茅ケ崎駅から南東約三〇〇メートルに位置するアパート又は事務所兼居宅の敷地であって、同市内では、遅くとも昭和三二年ころから建物所有目的の賃借権又は地上権の対価として権利金の授受の慣行があり、昭和四五、六年ころ以降の借地権価格は概ね更地価格の七割であったとみられるから、A、B両土地の建物所有目的の賃借権又は地上権価格も、昭和四五年一〇月末ころにおいて、更地価格の七割であったと推認され、これを覆すに足りる証拠はない。

そして、A、B両土地の使用借権は、①父俊郎が長男俊哉及び三男原告周に貸家を所有させ、同人らにその収益を得させる目的で設定されたもので、俊哉及び原告周は貸家を所有して収益を得てきたこと、②その存続期間は、右目的及び原告会社に右使用借権が譲渡され、原告会社によって、A建物の水洗工事及びB(1)建物の増改築工事がなされており、相当長期にわたる権利として予定されていたものと推認されること、③右使用借権は、原告会社に一旦は譲渡されて同原告に収益をもたらし、その後に再び原告周及び俊哉に譲渡された権利であること、④右使用借権は、原告会社の右増改築工事の状況に照らして、原告周及び俊哉がA、B各建物を建替え又は増改築することを許容していたと推認されることの各事実に照らすと、右当事者間においては長期間を予定した、安定した利用権であると認められ、建物所有目的の賃借権又は地上権より低く評価されるべきものではあるが、特に大きな相違があるとは認められないのであり、これらの事情を考慮すると、A、B両土地の使用借権の経済的価値は、更地価格の五割(借地権価格の約七割)と評価するのが相当である。

なお、被告は、原告会社が貸主である俊郎に対し、固定資産税等の公課を支払い、かつ、役員報酬及び賞与を支払ってきたこと、A及びB両土地は貸家の敷地として使用され、相当長期にわたって収益をあげるために使用されるとして、原告会社から原告周及び俊哉に対し、譲渡された権利が使用借権であるとしても、その経済的評価は建物所有目的の賃借権又は地上権に匹敵する旨主張する。

しかし、使用借権は、前記判示のとおり、建物所有目的の賃借権又は地上権と法的に差異があり、また、固定資産税等の公課の支払いや役員報酬及び賞与の支払いをもって、賃料と同視しうる事情にないことも前記判示のとおりであるから被告の右主張は理由がない。

そうすると、A土地の更地価格は昭和四五年一〇月三一日当時において、一一三六万七五五六円と認定すべきこと前判示のとおりであるから、A土地の使用借権価格はその五割に相当する五六八万三七七八円となり、また、B土地の更地価格についても既に認定のとおり右当時において一二一五万七八三〇円であるから、B土地の使用借権価格はその五割に相当する六〇七万八九一五円となる。

(四)  原告会社は、原告周に対しA土地の使用借権を、俊哉に対しB建物及びB土地の使用借権をそれぞれ無償で譲渡したのであるが、原告周は原告会社の代表取締役、俊哉は取締役であるから、無償譲渡した右土地使用借権及び建物所有権に相当する額は、取締役である原告周及び俊哉に対する賞与として支給したものというべきで、原告会社の益金に加算すべきものである(法人税法三五条参照)。

したがって、原告会社は原告周に対し、A土地の使用借権相当価額である五六八万三七七八円を賞与として支給し、また、俊哉に対し、B土地の使用借権相当価額六〇七万八九一五円及びB建物の価額(昭和四六年五月期における帳簿価格)七九万〇五九五円(B(1)建物が六三万五一〇五円、B(2)建物が一五万五四九〇円)の合計六八六万九五一〇円を賞与として支給したことになり、右合計金額一二五五万三二八八円を原告会社の益金に加算することになる。

4  前記2の認定事実を前提にして、D土地の借地権を無償譲渡したとみられるか否か、また、それを原告周に対する賞与と評価しうるか否かについて判断する。

(一)  原告周は、原告会社が昭和四〇年八月二〇日ころ原告周所有のD土地にD建物を建てることを承諾し、原告会社との間において、D土地の賃貸借契約を締結し、月額八〇〇〇円の賃料を受け取っていたというのであるから、原告会社はD土地に建物所有を目的とする賃借権を有していたというべきである。

(二)  原告会社は原告周に対し、昭和四七年三月二〇日にD建物を七一〇万円(敷地使用権価格を含まない。)で売却したところ、同建物の敷地使用権について特段の合意をしたものと認めるに足りる証拠はない。しかし、さきに説示のとおり、原告会社は原告周との間において、D建物の敷地使用権をも設定し供与したものと推認されるから、結局、原告周は、原告会社から借地権の譲渡を受けたものと認められる。

なお、原告らは、原告周が原告会社に対しD土地の維持・管理を委託し、原告会社がD建物を建てて土地を維持・管理していたが、その後に右委託が終了したので、原告周が原告会社からD建物を買い受けD土地の返還を受けたもので、その間に賃借権の譲渡を伴うものでない旨主張する(被告の主張に対する原告らの反論3)。

しかし、原告周が原告会社に対し、当初更地であったD土地を原告会社に管理委託していたのであるにしても、原告会社によってD建物が建築された後、原告会社との間でD土地の賃貸借契約を締結し、昭和四〇年八月ころから月額八〇〇〇円の賃料を受領していたのであるから、原告会社にD建物を所有する目的の賃借権を設定したものと認めるのが相当であり、原告の右主張は失当である。

そうすると、原告会社は原告周に対し、D建物と共にD土地の賃借権を譲渡したものとなるところ、右賃借権については対価を収受していないから、これを無償で譲渡したものであり、前記判示のとおり、その価額相当額を取締役である原告周に賞与として支給したものというべきである。したがって、右価額相当額を原告会社の益金に加算すべきである。

(三)  D土地の賃借権の価格についてみるに、前記二3(三)で認定したとおり、神奈川県茅ケ崎市内の借地権価格は、昭和四七年三月二〇日当時において、更地価格の七割相当額であるところ、D土地の更地価格は昭和四七年三月二〇日当時において、一七五〇万八六四五円と認められること既に認定のとおりであるから、その七割に相当する一二二五万六〇五一円が借地権価格であるというべきである。

したがって、原告会社は原告周に対し、昭和四七年三月二〇日一二二五万六〇五一円の賞与を支給したことになり、右金額を原告会社の益金に加算すべきことになる。

5  前記2の認定事実を前提にして、C、F、G各土地の借地権を無償譲渡したとみられるか否か、また、E土地の賃借権を低額譲渡したとみられるか否か、さらには、それを贈与と評価しうるか否かについて判断する。

(一)  原告会社が光之村に対し、昭和四五年九月一〇日にC建物を三四八万円で、昭和四六年七月三一日にE建物の所有権及びE土地の賃借権を四五万五〇〇〇円で、G建物を一一八万三二〇〇円で、昭和四七年一月三一日にF建物を五八九万九二〇〇円でそれぞれ売却したと認められることは既に認定のとおりである。

ところで、原告会社と光之村との間には、C、F、G各土地の使用権について明示の合意がなされたと認めうる証拠はないが、建物が当該建物の敷地所有者によって任意譲渡された場合には特段の事情のない限り、建物譲渡契約に付随して右敷地使用権の設定についても合意があったものと推認されることは既に前記3(二)において判示したとおりである。

そこで、右特段の事由の存在についてみるに、原告らは、原告会社が光之村との間において、昭和四四年九月ころ、C、F、G各土地、建物を売却することを合意したが、光之村がこれを買取るだけの資金を準備できなかったため、資金調達の都合上、建物だけの売却が先行し、昭和四八年四月二五日にC、F、G各土地を売却した事情にあるのであるから、右各建物の売却時に特に建物所有目的の賃借権を設定したものではない旨主張し(被告の主張に対する原告らの反論2)、原告代表者尋問の結果及び同結果により真正に成立したと認められる甲第一七、第一八号証によれば、原告会社が光之村に対し、昭和四八年四月一五日C、F、G各土地を売却したことが認められる。

しかし、原告会社は、光之村にC、F、G各建物を売却した当時、いずれ光之村にC、F、G各土地を売却する合意があったものの、その時期が比較的短期間の間で確定的なものとして合意されていたのであればともかく、そのような事情があったものと認めるに足りる証拠は全くないうえ、その履行時期について合意したと認めるに足りる証拠もなく、建物の売却の合意から土地の売却までには三年半余を、現実の各建物の売買と土地の売買との間には二年半ないし一年三箇月余を経過しているのであって、その間土地の使用権について何らの設定もなされていないということは極めて不自然なことといわねばならない。また、原告会社は、昭和四六年五月期及び昭和四七年五月期の更正処分に対する審査請求において、C、F、G各土地の更地価格が高額に認定されたことを不服理由としているものの、借地権を設定したとみなされたことについてはなんら不服を申し立てていない(前記乙第二〇、第二一号証)のであって、以上を併せ考えると、原告ら主張の右事情をもって、C、F、G各土地の使用権を設定していない特段の事情とすることはできない。

その他、原告会社が光之村に対し、C、F、G各土地の使用権を設定しなかったとする特段の事情を認めるに足りる証拠はない。

そうすると、原告会社は光之村に対し、C、F、G各建物の売却時にC、F、G各土地についてそれぞれ建物所有を目的とする賃借権を設定したと認められる。

(二)  C、E、F及びG各土地の賃借権価格について考察するに、昭和四五年から昭和四七年ころの茅ケ崎市内の借地権価格は、いずれも更地価格の七割相当の価格と評価されることは既に前記3(三)において判示したとおりである。

そして、更地価格についてみるに、C土地は昭和四五年一〇月三一日当時六四九万二八〇〇円、E土地は昭和四六年七月三一日当時三〇一万四五五〇円、F土地は昭和四七年一月三一日当時一三二〇万五二二〇円、G土地は昭和四六年七月三一日当時八一八万九七七五円と認められたこと既に認定のとおりである。

そうすると、右各土地の借地権価格は、C土地は四五四万四九六〇円、E土地は二一一万〇一八五円、F土地は九二四万三六五四円、G土地は五七三万二八四二円となる。

なお、原告らは、E土地の所有者である鈴木利一が原告会社の代表者である原告周の小学校時代の教師であるため、強く借地権を主張できる状況になく、また、E建物が昭和二六年当時から存する老朽化した建物であるうえ、昭和三四年以降賃借していて賃借権の残存期間が短く、さらに、原告会社がE土地、E建物を二一万円で取得したことからして、E土地の借地権価格を二八五万五〇〇〇円以上に評価するのは不当である旨主張する(被告の主張に対する原告らの反論4)。

しかし、原告会社は営利法人であって、その代表者個人と賃貸人との人間関係により、借地権の効力に差異を生ずるとは認め難く、また、E建物が老朽化していたとしても、補修の余地がない程朽廃に近い状態にあるなどの特段の事情がない限りこれを特別に低く評価すべきものとはいえないし、賃借権の残存期間についても、明らかに更新が妨げられるような特段の事情が認められない限り、これを低く評価すべきものとはいい難いところ、いずれも右のような特段の事情を認めるに足りる証拠はないから、原告らの右主張も採用できない。

(三)  以上のとおり、原告会社は光之村に対し、C、F、G各土地の借地権相当額(C土地は四五四万四九六〇円、F土地は九二四万三六五四円、G土地は五七三万二八四二円である。)を贈与し、また、前記乙第三号証によれば、E建物については、昭和四五年五月三一日当時の帳簿価格が一五万六〇七七円であり、毎年0.092の割合で定率の減価償却を行っているところからすると、昭和四六年五月期における帳簿価格は一四万一七一八円(一五万六〇七七円から昭和四六年五月期の減価償却費一万四三五九円を控除した金額)となるので、E土地の借地権価格二一一万〇一八五円から三一万三二八二円(E建物及びE土地の借地権の売却価格四五万五〇〇〇円からE建物の帳簿価格一四万一七一八円を控除した金額)を控除した一七九万六九〇三円だけ低額譲渡したことになり、その分を光之村に贈与したことになる。

三被告は、原告会社が光南農場に対し多額の融資を行っているが、その融資分のうち無利息部分については、利息相当額を光南農場に無償で供与したもので、寄付金として扱うべきである旨主張し、原告会社はこれを争うので、以下においてこの点について判断する。

1  原告会社の光南農場に対する月別融資金額が別表二(一)ないし(三)の各「合計残高」欄記載の金額になり(但し、原告会社が株式会社東京相互銀行及び株式会社神奈川相互銀行から融資を受け、光南農場に貸し付けていた貸付金のうち、光南農場が利息を支払っていた貸付金を除く。)、右月別融資金額に年一〇パーセントの割合を乗じて算出した金額が同表の各「利息相当額」欄記載の金額であること(被告の主張1(二)(3)、同2(二)(2)、同3(二)(2))は当事者間に争いがない。

2  右事実に加えて、〈証拠〉を総合すると、次のとおり認められる。

(一)  光南農場は、昭和三九年に光之村の農業部門を引き継ぐ目的で設立され、日本の内外からの研修生を受け入れて、静岡県伊東市付近に所在する農園で蜜柑、養鶏を行っていた。

光之村は光南農場に農業部門を引き継がせた後、教育映画、茶道教室、華道教室、宗教事業等を行っていた。

(二)  光南農場経営の幹部は原告会社と共通であり、また、原告会社の本店所在地(神奈川県茅ケ崎市幸町一九番三二号)に光南農場の金銭出納簿等の元帳を置き、静岡県伊東市内の農場内で作成した伝票等を定期的に茅ケ崎市内の原告会社本店に届けて原告会社の社員が光南農場の元帳に記載していた。

光南農場は、荒蕪地を開拓して蜜柑園を作る費用や、鶏舎、宿舎、施設等の設備投資に資金を必要としていたが、その事業内容が収益率の低い農業経営であったことや小規模の企業であったために、金融機関から自己名義で融資を受けることが困難であった。そのため原告会社は、光南農場の親会社であるとの認識に基づき、株式会社東京相互銀行及び株式会社神奈川相互銀行等から融資を受けて光南農場の支払うべき毎月の経費、工事代金等を立替払いし、又は光南農場に貸し付け、これを原告会社の帳簿に光南農場の科目を設け、光南農場の勘定(以下「農場勘定」という。)として記帳していた。

(三)  原告会社は、光南農場に代わって借り受けた貸付金の利息についても代払いし、また、光之村は、その所有する静岡県伊東市内の土地を売却し、その代金を原告会社に預けていたが、この預託金から光南農場の資金需要に応じていた。

そして、原告会社が光南農場に対して融資していた月別金額(但し、原告会社が株式会社東京相互銀行及び株式会社神奈川相互銀行から融資を受け、光南農場に貸し付けていた貸付金のうち、光南農場が利息を支払っていた貸付金を除く。)は、別表二の(一)ないし(三)の各「合計残高」欄記載の金額であり、これに年一〇パーセントの割合による相当する金額を算出すると同表の各「利息相当額」欄記載の金額になる(この事実、計数関係については当事者間に争いがない。)。

(四)  原告会社は、昭和四四年九月三〇日から昭和四六年六月一七日にわたって株式会社東京相互銀行から年10.22(日歩二銭八厘)ないし10.25パーセントの利息で融資を受けており(甲第二五号証の一ないし一一、同号証の一三ないし一七)、また、昭和四三年一月三一日、株式会社神奈川相互銀行から年9.49パーセント(日歩二銭六厘)の利息で一五〇〇万円を(甲第二七号証)、昭和四六年四月一二日、同銀行から年九パーセントの利息で二三〇〇万円(甲第二九号証)をそれぞれ借り受けており、さらに、昭和四五年九月三〇日から昭和四六年七月八日まで松本祐商事株式会社から年36.5パーセントないし54.75パーセントの利息で融資を受けていた。

以上のとおり認められ、これに反する証拠はない。

3  右認定事実によれば、光南農場は原告会社から、別表二(一)ないし(三)の各「合計残高」欄記載の金額について無償融資による経済的利益を受けてきたことになる。

なお、原告会社は、原告会社が光南農場に代わって原告会社名義で金融機関から借り入れた資金の一部について、光南農場が利息を支払っていたから、右借入金を原告会社の光南農場に対する貸付金に含め、その支払っていた利息を原告会社に対する利息支払額として計算すれば、原告会社が光南農場に対し、無利息ではなく低利融資をしていたことになり、かつ、原告会社が光南農場に対し低利融資をする合理性があるから、右経済的利益について寄付金の認定をすべきでない旨主張(被告の主張に対する原告らの反論5(一))する。

しかし、光南農場は、自己の信用で金融機関から融資を受けられないため原告会社名義で融資を受けたのであるから、右融資金の利息を負担すべきは当然であって、右利息金にかかる貸金元本と、これとは無関係な原告会社の全く別口の光南農場に対する貸付金又は立替金と合算して、光南農場の金融機関に対する右利息金の支払いをもって双方の利息としての負担と考えることは、およそ合理的な論理性に欠けるばかりか、そもそも元本債権と利息債権との対応関係を曖昧にするものであって、到底公正な会計処理(商法三二条二項参照)とはいえず、かつ、そのような会計処理の合理性を認める証拠もないから、低利融資である旨の右原告会社の主張は失当というべきである。

また、原告会社は、藤沢税務署員と相談しその指示により、昭和四五年五月期以前においても、光南農場との取引関係において、昭和四五年五月期、昭和四六年五月期及び昭和四七年五月期(以下「係争年度」という。)と同様に立替金、融資金及び預かり金等を農場勘定その他の科目で会計処理してきたが、一度も寄付金認定になる旨の指摘を受けたことはなかったのであり、被告が従前是認してきた方針を今回突然変更して課税することは信義則に反する旨主張(被告の主張に対する原告らの反論5(二))する。

しかし、租税法律主義を採用する現行法制下のもとでは、税はすべて法律に従って課され、しかも税負担の公平の見地から法適合性が強く要請されるのであるから、信義誠実の原則ないし禁反言の法理によって法の定めるところと異った税負担を課することは、右適法性の要請に優先して納税者の利益を保護すべきことが、正義衡平の見地からやむを得ないと認められるような特別の事情が認められる場合に限られると解されるところ、原告代表者尋問の結果によれば、原告会社は、係争年度以前の税務調査において、光南農場との取引関係について貸付金には利息を徴収しなければならない旨の指摘を受けたが、これについて更正処分や会計処理についての指示又は指導はなされなかったというのであるが、税務署員の積極的な指導や助言によって会計処理をしたと認めるに足りる証拠は見当らないのであって、右原告代表者尋問の結果のような事実があったからといって、かかる事実をもって原告会社の光南農場に対する無利息融資を寄付金と認定して課税することが信義則に反するということは到底できないものというべきであり、原告会社の右主張は失当である。

そこで、原告会社が光南農場に無償融資した利息相当額についてみるに、前記認定にかかる株式会社神奈川相互銀行等からの借入金額及び借入金利と対比の上、原告会社が光南農場に対し、弁済期を定め担保の提供を受けて融資していたと窺わせる証拠がないことを併せるなら、営利法人である原告会社が光南農場に対し、昭和四四年六月一日から昭和四七年五月三一日にわたって、別表二(一)ないし(三)の各「合計残高」欄記載の融資金額に利息相当金として年一割の割合を乗じた経済的利益(同表「利息相当額」欄記載の金額となる。)を供与していたと認めるのが相当である。

なお、原告会社は、光南農場との関係からして、無利息融資の利息相当額は、年五ないし六パーセントが相当である旨主張(被告の主張に対する原告らの反論5(三))する。

しかし、原告会社と光南農場とがともに岡崎家の者の経営する企業であるとしても、両者は別個独立の営利法人であって、原告会社の利益を犠牲にして光南農場の利益を図ることは、通常の取引関係においては存しないものであり、原告会社は光南農場に対し、通常取得できると考えられる利息相当額の経済的利益を贈与したと評価されるのであって、原告会社と光南農場との関係をもって、無利息融資の利息相当額を通常の利息より低額とするのを相当とする理由とすることはできない。

4  以上のとおりであるから、原告会社は光南農場に対し、別表二(一)ないし(三)の各「利息相当額」欄記載の金額の経済的利益を贈与していたものであり、右金額を寄付していたものと認めることができる。

四以上判示したところに従い、原告らの請求について判断する。

1  昭和四五年五月期法人税の更正処分について

(一)  原告会社の申告所得金額が九一四万七五三三円であること(被告の主張1冒頭事実)、原告会社が法灯禅林寄付金として一三〇万円を寄付金勘定に計上し、損金として処理したが、実際には支払われておらず損金に算入できないこと(同1(一))、原告会社が寄付金として一一万七〇〇〇円(但し、法灯禅林寄付金に対する寄付金を除く。)を計上していたこと(同1(二)(2))は当事者間に争いがない。

(二) 前記三判示のとおり、原告会社は、光南農場に対し、昭和四五年五月期において、別表二(一)の「合計残高」欄記載のとおりの無利息融資を行い、同表「利息相当額」欄記載の二三六万八四七一円の利息相当額を贈与した。

そうすると、原告会社が寄付金として損金に計上できない金額は、法人税法三七条二項、昭和五〇年三月政令第五八号による改正前の法人税法施行令七三条一項一号によると、別表三(一)記載のとおり(原告会社の資本金が一〇〇〇万円であることは、前記二1認定のとおりである。)二三一万一三〇九円となる。

(三)  したがって、原告会社の昭和四五年五月期の所得は、申告所得九一四万七五三三円に法灯禅林寄付金として損金に計上した一三〇万円及び寄付金として損金に計上できない二三一万一三〇九円を加算した一二七五万八八四二円となり、被告が昭和四八年四月二八日原告会社の昭和四五年五月期の法人税についてなした更正処分の所得金額(別表一(一)参照)は右金額以下であるから、右更正処分には原告ら主張の違法はない。

2  昭和四六年五月期法人税の更正処分について

(一)  原告会社の申告所得が六二万二七五二円であること(被告の主張2冒頭事実)は当事者間に争いがない。

(二)  借地権相当額の収益計上もれ

前記二3判示のとおり、原告会社は原告周に対し、A土地の使用借権を無償で譲渡して、右使用借権相当額五六八万三七七八円を役員賞与として支給し、また、俊哉に対し、B土地の使用借権及びB建物を無償で譲渡して、右使用借権相当額及びB建物相当額の合計六八六万九五一〇円を役員賞与として支給した。

したがって、右役員賞与金額合計一二五五万三二八八円は、原告会社の益金として計上しなければならない。

(三)  無利息融資の利息相当額

前記三判示のとおり、原告会社は光南農場に対し、昭和四六年五月期において別表二(二)の「合計残高」欄記載の無利息融資を行い、同表「利息相当額」欄記載のとおり二六九万四〇八〇円の利息相当額を贈与した。

したがって、右利息相当額二六九万四〇八〇円は、原告会社の寄付金額に加算しなければならない。

(四)  借地権相当額の贈与

前記二5判示のとおり、原告会社は昭和四六年五月期において、光之村に対し、C土地の借地権を無償で譲渡して右借地権相当額四五四万四九六〇円を贈与した。

したがって、右借地権相当額四五四万四九六〇円は、原告会社の寄付金額に加算しなければならない。

(五)  減価償却費の損金算入否認

前記二1認定のとおり、原告会社は俊哉に対し、昭和四五年一〇月末にB建物を無償で譲渡したにもかかわらず、昭和四五年五月期の決算において、B建物の減価償却費七万五六三三円を損金に計上しているから、右減価償却費のうち昭和四五年一一月一日から昭和四六年五月三一日までの七箇月分の減価償却費四万四一一九円は損金に算入できず、益金に加算しなければならない。

(六)  建物の帳簿価額の損金算入

前記のとおり、原告会社は俊哉に対し、昭和四五年一〇日末にB建物を無償で譲渡したから、昭和四六年五月期の決算において、B建物を資産に計上すべきでないところ、前記二1認定のとおり、原告会社はB建物の帳簿価格七九万〇五九五円を資産に計上しているので、これを損金に算入しなければならない。

(七)  土地の帳簿価額の損金算入

前記二5判示のとおり、原告会社は光之村に対し、C土地の借地権を設定し、その借地権価格はC土地の時価の七割相当額としたのであるが、原告会社は、昭和四六年五月期においてC土地の帳簿価格を六三万六九〇〇円として資産に計上している(当事者間に争いがない。被告の主張2(六))から、右帳簿価格の七割相当額である四四万五八三〇円を損金に算入しなければならない。

(八)  未納事業税

原告会社は昭和四五年五月期の法人税について、昭和四八年四月二八日に被告から更正処分を受け、右更正処分が適法であることは、前記四1判示のとおりである。

そうすると、昭和四九年法律第一九号による改正前の地方税法七二条の二二によると、原告会社の昭和四五年五月期の申告所得九一四万七五三三円に対する事業税は九六万二六四〇円(同法二〇条の四の二第一項及び第三項により端数処理を行った。)になるところ、右更正処分の所得金額一一九〇万九二二六円に対する事業税は一二九万四〇八〇円となるから、さらに、三三万一四四〇円を支払わなければならない。

したがって、右未納事業税三三万一四四〇円は、損金として所得から減額しなければならない。

(九)  寄付金損金不算入額

(1) 原告会社が寄付金として五万三五〇〇円を計上していたこと(被告の主張2(二)(1))、法灯禅林寄付金として八〇万円が支払われたこと(同2(二)(4))は当事者間に争いがない。

(2) 法人税法三七条二項、昭和五〇年三月政令第五八号による改正前の法人税法施行令七三条一項一号により、寄付金の損金不算入額を算定すると次のとおりとなる。

① 寄付金合計額 八〇九万二五四〇円

内訳 原告会社の計上した寄付金 五万三五〇〇円

無利息融資の利息相当額 二六九万四〇八〇円

借地権相当額の贈与 四五四万四九六〇円

法灯禅林寄付金 八〇万円

② 資本金の1000分の2.5 2万5000円

③ 寄付金支出前の所得金額 一八九四万四八三四円

内訳 加算金額

申告所得金額 六二万二七五二円

借地権相当額の収益もれ 一二五五万三二八八円

減価償却費の損金不算入 四万四一一九円

寄付金合計額 八〇九万二五四〇円

減算金額

寄付金支出額 八〇万円

B建物の帳簿価額 七九万〇五九五円

土地の帳簿価額のうち借地権額 四四万五八三〇円

未納事業税 三三万一四四〇円

④ ③の金額の100分の2.5 47万3620円

⑤ ①−(②+④)×0.5 784万3230円

したがって、寄付金の損金不算入額は、七八四万三二三〇円となる。

(一〇)  以上により、原告会社の昭和四六年五月期の所得金額は、申告所得金額、借地権相当額の収益もれ、減価償却費の損金不算入、寄付金の損金不算入額を加算し、これから寄付金支出額、建物の帳簿価額、土地の帳簿価額のうち借地権額、未納事業税の各金額を控除した一八六九万五五二四円となる。

よって、被告は、昭和四八年四月二八日、原告会社の昭和四六年五月期の所得が、二三三三万三二一九円(但し、審査裁決により減額された金額である。別表一(二)参照)であるとして更正処分を行ったが、右更正処分は、一八六九万五五二四円を越える部分について過大に所得を認定した違法があるから、右金額を越える部分は違法で取り消されるべきである。

3  昭和四七年五月期法人税の更正処分について

(一)  原告会社の申告所得金額が一七二万七七七三円であること(被告の主張3冒頭事実)、寄付金支出額五〇万円が所得金額から減額されるべきものであること(同3(四))は当事者間に争いがない。

(二)  借地権相当額の計上もれ

前記二4判示のとおり、原告会社は原告周に対し、昭和四七年三月二〇日にD土地の借地権を無償で譲渡し、右借地権相当額一二二五万六〇五一円を役員賞与として支給した。

したがって、右役員賞与金額一二二五万六〇五一円は、原告会社の益金に計上しなければならない。

(三)  無利息融資による利息金

前記三判示のとおり、原告会社は光南農場に対し、昭和四七年五月期において、別表二(三)の「合計残高」欄記載の金額を無利息融資し、同表「利息相当額」欄記載の八四万一七四七円の利息相当額を贈与したことになる。

したがって、右利息相当額八四万一七四七円は、原告会社の寄付金額に加算しなければならない。

(四)  借地権の低額譲渡及び贈与

前記二5判示のとおり、原告会社は光之村に対し、昭和四六年七月三一日にE建物及びE土地の借地権を一七九万六九〇三円だけ低額譲渡し、また、同日にG土地の借地権を無償譲渡し、右借地権相当額五七三万二八四二円を贈与したことになり、さらに、昭和四七年一月三一日にF土地の借地権を無償譲渡し、右借地権相当額九二四万三六五四円を贈与した。

したがって、借地権の低額譲渡分一七九万六九〇三円及び借地権相当額一四九七万六四九六円は、原告会社の寄付金額に加算しなければならない。

(五)  減価償却費の預金算入否認

前記二1認定のとおり、原告会社は俊哉に対し、昭和四五年一〇月末にB建物を無償譲渡したにもかかわらず、昭和四七年五月期において、B建物の減価償却費六万八六七四円を損金に計上しているから、これを益金に加算しなければならない。

(六)  土地の帳簿価額の損金算入

右判示のとおり、原告会社は光之村に対し、F及びG両土地について借地権を設定したから、右両土地の帳簿価額から同価額のうち借地権割合分だけ控除する必要がある。

昭和四七年五月期において、F土地の帳簿価額が九八万六七三三円であり、G土地の帳簿価格が二七二万五〇〇〇円であること(被告の主張3(五))は当事者間に争いがなく、前記二5判示のとおり、右両土地の借地権価格を更地価格の七割と評価したから、右帳簿価額の七割相当額(F土地の借地権相当額は六九万〇七一三円、G土地の借地権相当額は一九〇万七五〇〇円)を資産から控除することになる。

(七)  未納事業税

原告会社は、昭和四六年五月期の法人税について、昭和四八年四月二八日、被告から更正処分を受け、右更正処分のうち所得金額一八六九万五五二四円を超える部分が違法であることは、前記四2判示のとおりである。

そうすると、昭和四九年法律第一九号による改正前の地方税法七二条の二二によると、原告会社の昭和四六年五月期の申告所得六二万二七五二円に対する事業税は三万七三二〇円(同法二〇条の四の二第一項及び第三項により端数処理を行った。)になるところ、右更正処分のうち適法な所得金額一八六九万五五二四円に対する事業税は二一〇万八四〇〇円となるから、さらに、二〇七万一〇八〇円を支払わなければならない。

したがって、右未納事業税二〇七万一〇八〇円は、原告会社の所得から減額しなければならない。

(八)  寄付金の損金不算入額

(1) 原告会社が寄付金として五万三〇〇〇円を計上していたこと(被告の主張3(二)(1))、法灯禅林寄付金として五〇万円が支払われたこと(同3(四))は当事者間に争いがない。

(2) 法人税法三七条二項、昭和五〇年三月政令第五八号による改正前の法人税法施行令七三条一項一号により、寄付金の損金不算入額を算定すると次のとおりとなる。

① 寄付金合計額 一八一六万八一四六円

内訳 原告会社の計上した寄付金額五万三〇〇〇円

無利息融資の利息額 八四万一七四七円

借地権等の低額譲渡 一七九万六九〇三円

借地権相当額の贈与 一四九七万六四九六円

法灯禅林寄付金 五〇万円

② 資本金の1000分の2.5 2万5000円

③ 寄付金支出前の所得金額 二七〇五万一三五一円

内訳 加算金額

申告所得金額 一七二万七七七三円

借地権相当額の収益もれ 一二二五万六〇五一円

減価償却費の損金不算入 六万八六七四円

寄付金合計額 一八一六万八一四六円

減算金額

寄付金支出額 五〇万円

土地の帳簿価額の借地権額 二五九万八二一三円

未納事業税 二〇七万一〇八〇円

④ ③の金額の100分の2.5 67万6283円

⑤ ①−(②+④)×0.5 1781万7505円

したがって、寄付金の損金不算入額は、一七八一万七五〇五円となる。

(九)  以上により、原告会社の昭和四七年五月期の所得金額は、申告所得金額、借地権相当額の収益もれ、減価償却費の損金不算入、寄付金の損金不算入額を加算し、これから寄付金支出額、土地の帳簿価額のうち借地権額、未納事業税の各金額を控除した二六七〇万〇七一〇円となる。

被告は、昭和四八年四月二八日、原告会社の昭和四七年五月期の所得が、二五八六万九七〇五円(但し、審査裁決により減額された金額である。別表一(三)参照)であるとして更正処分を行ったが、右更正処分は、原告会社の昭和四七年五月期の所得金額二六七〇万〇七一万円以下であるから、原告会社の所得を過大に認定した違法はない。

4  過少申告加算税の賦課決定について

(一)  原告会社の昭和四五年五月期及び昭和四七年五月期の法人所得について被告の行った更正処分はいずれも適法であるから、右更正処分を前提にして、国税通則法(昭和五九年法律第五号による改正前のもの)六五条一項に基づき行った過少申告加算税の賦課決定には、原告ら主張の所得を過大認定した違法はない。

(二)  原告会社の昭和四六年五月期の法人所得について被告が行った更正処分は、所得金額一八六九万五五二四円を超える部分が違法であるから、右所得金額を超える部分について行った過少申告加算税の賦課決定も違法であり、取り消されるべきである。

5  昭和四五年一〇月分源泉所得税納税告知及び不納付加算税賦課決定について

(一) 前記二3判示のとおり、原告会社は、昭和四五年一〇月末、原告周に対し、A土地の使用借権相当額五六八万三七七八円を、俊哉に対し、B土地の使用借権及びB建物の相当額六八六万九五一〇円をそれぞれ役員賞与として支給した。

被告は、昭和四八年四月二八日付けで原告会社の昭和四五年一〇月分の賞与金額を一七一〇万二八七五円(但し、審査裁決により減額した金額)と認定して(別表一(四)参照)源泉所得税納税告知を行ったが、原告会社の原告周及び俊哉に対する役員賞与の支給額は一二五五万三二八八円であるから、右金額を超える部分は違法であり、取り消されるべきものである。

(二)  被告が国税通則法六七条一項に基づいて行った不納付加算税の賦課決定についても、右源泉所得税納税告知が一二五五万三二八八円を超える部分において違法であるから、右金額を超える部分について違法で取り消されるべきものである。

6  昭和四七年三月分源泉所得税納税告知及び不納付加算税賦課決定について

(一) 前記二4判示のとおり、原告会社は原告周に対し、昭和四七年三月二〇日、D土地の借地権相当額一二二五万六〇五一円を役員賞与として支給した。

被告は、昭和四八年四月二八日、原告会社が原告周に対し、一二二五万六〇五一円(但し、審査裁決により減額された金額である。)の賞与を支給したと認定して(別表一(五)参照)源泉所得税納税告知を行ったが、右告知は原告ら主張の所得を過大に認定した違法はない。

(二)  不納付加算税の賦課決定についても、右源泉所得税納税告知が適法であるから、原告ら主張の違法はない。

7  原告周の昭和四七年分所得税の更正処分及び過少申告加算税賦課決定について

(一)  前項判示のとおり、原告会社は原告周に対し、昭和四七年三月二〇日、D土地の借地権相当額一二二五万六〇五一円を役員賞与として支給したから、右金額を所得に加算すべきであるところ、原告周の昭和四七年分申告所得が四二六万五三〇〇円であること(請求原因1、別表一(六)参照)は当事者間に争いがないから、同原告の昭和四七年分の所得は、一六五二万一三五一円となる。

被告は、昭和四九年一二月二七日、原告周の昭和四七年分所得金額について、一六五二万一三五一円(但し、審査裁決により減額された金額)とする更正処分を行ったが、右金額は同原告の昭和四七年分の所得金額と同額であるから、右更正処分は適法である。

(二)  過少申告加算税の賦課決定についても、右更正処分が適法であるから、原告ら主張の違法はない。

四以上の次第で、被告が原告会社の昭和四六年五月期の法人税についてした更正処分及び過少申告加算税賦課決定のうち、課税所得一八六九万五五二四円を超える部分並びに被告が原告会社に対してした昭和四五年一〇月分の源泉所得税納税告知及び不納付加算税賦課決定のうち、源泉所得金額が一二五五万三二八八円を超える部分はいずれも違法で取り消すべきであり、原告らの本訴各請求は右の限度で理由があるから認容し、その余は失当であるから棄却することとしたうえ、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官川上正俊 裁判官宮岡章 裁判官西田育代司)

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